旅行記パート2はLa Biennale di Venezia/ヴェネツィアビエンナーレです。
2019年の出来事を書いているので、個人的にタイムトラベル感を感じながら…当時の日記から引っ張って始めたいと思います。
日本でも瀬戸内トリエンナーレなど数年周期での芸術祭が根付いてきましたが、こちらは元祖。2019年で第58回。二年に1度と考えれば軽く100年を超えた伝統的な芸術祭です。建築と芸術を交互に毎年開催しており、今年は芸術年。というわけで初めてのヴェネチアへ行ってきました。
まずはビエナーレで個人的にとても良かった作品を独断と偏見でお届けします。
まずは、スイス館
“Moving Backwards.” /Pauline Boudry & Renate Lorenz
今回のビエンナーレのテーマはMay you live in interesting times.
日本語訳では「数奇な時代を生きられますように」とされますが、語源は中国に由来するとも言われており(未だ不明)、呪い、つまりは皮肉的な表現でもあります。テーマ自体いかようにも解釈できる幅のあるものですが、ビエナーレのディレクター、ラフル・ルゴフが今回のビエンナーレを通じて定義したものは、作品とはオブジェクトそれ自体ではないく、それを介した対話がアーティストと観客、もしくは観客同士で生まれることとしています。芸術が社会的にどういった役割を担うのか、というのが今回のテーマでもあります。
さて、話を戻してスイス館のこのMoving Backwardsはまさにそのテーマにぴったりの作品でした。国別パビリオンの置かれているジャルディーニで見ることができました。このインタビューでも語っている通り、インスタレーション、パフォーマンス、展覧会的な間に位置するプレゼンテーションだったのが空間の中でよく機能していました。何より、作品に付随したコンセプトについてのニュースペーパー形式の紙媒体も用意されていたのですが、その内容と作品が完全にリンクしていて、コンセプトが薄れることなく作品となった。もしくはコンセプト一人歩き状態でもなかった、というのも見事でした。
続いて、リトアニア館
写真が暗くなってしまいました。
Sun & Sea (Marina)
2019年の金獅子賞を取ったのがこのリトアニア館です。パフォーマンスは水曜日と土曜日に見ることができます。場所は街中にあり、メイン会場外なので無料で見ることができました。
ビーチで楽しむ人々が現代を風刺した歌をオペラ形式で歌います。Songs of worry and of boredom, songs of almost nothing. そしてこのパフォーマンスの肝が
“contemporary crises unfold easily, softly-like a pop song on the very last day on Earth. “というところ。
今回のビエンナーレのテーマからか、はたまたアートの持つ属性かもしれませんが、とにかくコンセプトそのままの重たい作品も多かった中で、ビジュアル/空間への翻訳が素晴らしい作品でした。ビジュアルとしてもビーチに横たわる人からタオルに至るまでのモザイクも美しくてちょっと儚い。チームも大きいわけで、中には水着デザイナーまで参加していました。私のお気に入りは双子の少女が歌うアリア、3D sister’s song.
My mother left a 3D printer turned on.
And the machine began to print me out.
When my body dies, I will remain,
In an empty planet without birds, animals
and corals.-Sun and Sea (Marina)
納得のゴールデンライオン。
もしかしたら、私の専門分野もここなので、そういう意味で面白かったのかもしれませんが‥。このチームでの初めての英語での作品。国際展でいつも難しいなぁと思うのが字幕が必要な作品が多いこと。もちろん原語で展示する意味は大きいのですが、どうしてもメインの舞台や作品ではなく字幕を追ってしまうのがもったいない。どういう意図でかは正確にはわかりませんが、英語版を作ったことで、ポップさが際立ったし、字幕ではなくパフォーマンスに集中できるのもよかったです。ポップソングに準えているように、エリート的なアートではないのも、逆に新鮮でした。
大学のドイツ語コースで先生から「あなたのアートは社会的なものか」という質問をされた時にペインティングクラスの子が「第一にそこが目的ではないけれど、第二にアートは万人のものではない、どこかエリート的な要素が強いので」という話をしていたのが印象的でした。これはヨーロッパにおいての芸術の一番の特徴かもしれません。歴史的な文脈でそうなのか、「鑑賞者がいる」ことと「鑑賞者が理解できる」かどうかは別物であり「理解できる」かどうかを軸にコンセプトや方法論が話し合われることは作品を形成する要素外であることが多いです。難しいことを簡単に言う、教育的な、はたまたエンタメ的な方法論は、もはやそれがコンセプトでない限りは用いられないような気もしています。
そういう意味で、アーセナルでの展示は中々に重たいものがありました。
会場の作りも相まって、一つ一つと向き合うには相当な体力を要します。暑さと連日の疲れでアーセナル会場の中盤あたりから私の頭の中は「art is dead boring」がぐるぐるとこだましていました。例年アーセナルはレベルの高い展示で非常に人気なのですが、気温35度と湿気の中、クーラーなしに何時間も‥修行が足りませんでした。
そんな中でも印象的だったのがジョージアから出ていたアーティストはAnna K.E.の作品。
“REARMIRRORVIEW, Simulation is Simulation, is Simulation, is Simulation “
国際展で規模も大きいので各パビリオンごとにキュレーターがおり、さながらキュレーター選手権的な様相を見せていたビエンナーレ。作品がアトリエの外に出た時にどう機能し、どうプレゼンするかはキュレーターの腕も問われるわけで、そういう意味でキュレーターとアーティストの相思相愛的なカップルを数組見れたのはいい勉強になりました。国際展らしく有名作家の作品も多く、また今年は男女比が同等になり、若い作家も多く取り上げられていたことからフレッシュな年なのかもしれません。
残念ながら、日本館に至っては「これはマジで日本人以外の感覚に訴えるの難しいだろう」というのが率直な感想で、かつ個人的にはう〜ん‥総合的に取り組んだから弱いのだろうか‥う〜ん‥という感じでした。各国が明らかに政治的な背景が強い中、そういうものが見えない唯一の館だったように思います。日本の社会において民主主義を感じられないのと、それは少し似ていました。そこに話し合う要素があったかと言われれば、外側の話になってしまうし、それはどこか日本の食卓を連想させるものでもありました。辛口すぎますかね?でも、うん。
さて、そんな感じで3日間のチケットで存分にビエンナーレを楽しみました。
それにしても湿気があるって辛い‥マジで暑くて溶けそうでした。
アイスレモネードを片手に、メイン会場以外もフラフラ。船で対岸に渡れば、そこにもまたギャラリー。国際展的な寄せ集め感があるので、瀬戸内とはまた違う雰囲気と、ヨーロッパでアートは良くも悪くもちゃんと資本主義のサイクルにあるんだな、と思わされました。
でも、ギャラリーに疲れたら、ちょっと脇道に入ってベネチアの街を眺める。
その行ったり来たりのバランスが良くて。それと同時に、イベントのない、閑散期の方が案外いい街かもしれないとも思いました。
日本でたまに見かけていた、いかにも観光地!というよりは、オーガニックな街なんだろうな、本当は。そういう印象の強い場所でした。
今年もコロナ禍、パンデミック(ほぼ)収束の中、ビエンナーレが盛況のようです。
もし余裕があれば8月末か9月頭にぶらり旅に行きたいなとは思っています。街の構造は分かったし、一人なら3日あればいいかもな。
ビエンナーレ以外は全く観光ガイドにのっていそうな所には立ち寄らなかったので、次回は観光地もちょっとは覗いたほうがいいかもしれませんね。でも観光地巡りして楽しかったことあんまりないんですけどね…。